親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。
さまざまな価値観が交錯するこの時代、自分自身の生き方・働き方にどう向き合う? エッセイ連載「わたしと、シゴトと」では、毎回異なる書き手が、リレー形式で言葉をつむぎます。
今回の寄稿者は、作家のくどうれいんさんです。会社員と作家の「二足の草鞋」から卒業し、2022年に独立。「会社員である自分のことが好きだった」ものの、専業作家になることで仕事環境や働き方の変化に直面。自分に合ったワークスタイルを整えるまでの道程を綴ります。
ずっと、会社員として働くと思っていた
作家として独立する前、4年間、営業職の社員としてみっちり働いていた。その前に一年任期付きの職場で働いていたので、計5年間はオフィスのあるところで働いていたことになる。ただ猛烈なやる気と体力と根気でなんとか仕事と執筆を両立していたが、その糸がふいに切れそうになる瞬間が来て、独立を決めた。ずっと会社に勤めるものだと思っていたわたしは、そうしてろくに覚悟も準備も整わないままに「自営業の作家」としてひとりで働くことになったのだ。
わたしは会社員として働いている自分のことが本当に好きだった。残業も休日出勤もあったけれど、我ながら自分に向いていたのだ。しんどい日もあんなにたくさんあったはずなのに、振り返ると「たのしかった、またやりたい」といまでも思う。もう、いそがしい! と言いながらグレーのスーツを着て早足で廊下を歩いている自分を気に入っていた。
会社員としての自分が好きだっただけに最後まで会社を辞めたくはなかったけれど、いましかできない執筆に、できるだけよい環境で集中したいと思っての退職。我ながら見事な円満退社だった。
会社を辞めた翌日、わたしはようやく直面した。問題はその「できるだけよい環境」だった。仕事を辞めれば仕事をしていた分、たしかに時間は手に入るけれど、ひとりで仕事をする環境はひとりで整えなければいけないのか!
まず、なにを着たらいいんだというところから葛藤は始まった。会社員時代は毎日スーツおよびオフィスカジュアルと呼ばれる服装を着て、それなりに仕事が出来そうな格好をしていたが、きょうからわたしは家でひとりだった。トレーナーやTシャツなどを着ていても何ら問題はない。しかし、それではちゃんと働いていないみたいでプライドが傷つくような気がした。気合を入れてパジャマを脱いで、とりあえずいつも通りスーツを着たが、それはそれで会社員のコスプレのように思えてむなしい。
平日に家にいるとそわそわしてしまう。いつでもテレビやラジオを見ていいし、何時に寝て、何時にお昼ご飯を食べてもいい。すばらしい自由なはずなのに、自由になったらなったで自分の今後のことばかり考えてしまい何も手につかなかった。家事をして気が付くともう14時になっていたり、書けない、と一度思ってしまうと泣きじゃくっているうちに夕方になったり、ちょっとだけよいランチを、と友人と会ってそのまま遊んでしまったり。
そんな日がいくつも続いて、いい加減に場所を変えたほうがいいのかもしれないと思った。家でひとりだからだめなのかもしれない。コワーキングスペースを検討してみたが、岩手県内のコワーキングスペースは選択肢が少なく、利用料金がよいと思える場所のほとんどは起業家同士のコミュニケーションやつながりづくりをメインのメリットとしていた。わたしは集中したいだけで、誰とも出会いたくはない。個室のコワーキングスペースとなると、(もはやアパートの家賃じゃん!)という金額であきらめた。作家らしく喫茶店で、と試してみたこともあるが、昔から飲食店で食べ物や飲み物をひとくち残して居座るというのがどうにも苦手で、冷めないうちにコーヒーを飲み切ってろくに仕事をしないまま退店してしまう。結局家でやるしかないのだった。
好きな喫茶店のアイスコーヒーはやたらとかっこいい。
こんなかっこいいコーヒーを小脇に置いて長時間集中なんてできない…
迷ったらデカいほうを選ぶ
仕事を辞めるのとほぼ同時に夫との同棲をはじめたので、作業室を一から作ることができたのは幸いだった。作業用の机、パソコン、印刷機。どういうものが欲しい? と尋ねられて、わたしは机の大きさだけは即決した。大きいほうがいい。作業室の机は無機質な黒色の昇降式の大きなデスクにした。大きいほうが会社っぽいと思ったのだ。
わたしは作業室について何かお洒落にしたいというきもちは一切ない。出来るだけ「仕事!」と思えるほうが集中できる。ノートパソコンで十分だと思っていたが、モニターがあったほうがいいと夫が譲らず、ノートパソコンを大きなモニターに繋いで仕事をするようになったら、見やすく、視線も上がりとても良い。
印刷機は仕事柄、執筆した原稿などを本や雑誌のレイアウト通りに組んだ「ゲラ」に書き込みをしてスキャンすることが多いため、用紙を順に置いておくだけで自動的にコピーできる自動原稿送り装置(ADF)が付いていることが必須だった。つかってみるとやはりこれは必要不可欠な機能だと思う。
今年に入りゲラの確認頻度が増えたため、タブレット端末を導入した。いままでは出力した100枚を超えるゲラの用紙に直接書き込みをし、それをスキャンして返すということをしていたのだが、いよいよ枚数も多くなって来ると、いくらADFがあってもスキャンに時間がかかって仕方がない。まだ導入したばかりだけれど、これから慣れたいと思っている。
いまの家に引っ越すにあたり、リビングの机を4人掛け、がんばれば6人掛けできるような大きなものにしたいというのがわたしのいちばんのこだわりだった。夫はリビングにふたり用のテーブルとソファを置きたがったが、わたしの猛烈な希望に折れて、ソファを置かずに大きなダイニングテーブルを置いてくれた。わたしは夕飯に何品も作るのがすきなので、テーブルは大きいほうが良い。そして、家に友人を招きたいからそのときゆとりをもって座ってもらいたい。
そういうつもりで買ったのだが、本などの印刷物の色を印刷・発行前に確認するための「色校」を大きく広げて確認したいときや、確定申告でさまざまな書類を一旦並べて確認したいときにとても役立っていて、仕事のためにも大きなテーブルにしてよかったと心から思う。

それから、キーボードにもこだわりがある。エンターキーのサイズが大きくないとだめだ。山形県のようなかたちででーんと存在感があるものじゃないと落ち着かない。それに、キーボードはうるさければうるさいほうがいいと思う。仕事をしているぞ!と思えるように。持ち運べるシリコン製のキーボードを試したこともあるがてんでだめだった。ぬかるみを歩かされているようで気持ちが悪い。
たとえフリーランスでも、出勤と同僚が必要なのかもしれない
作業室はできるだけ仕事場らしい作りにした。外で仕事をすることは諦めた。となるといよいよ、わたしは同僚のいない中ひとりで集中できるようになるしかなかったが、それが難しかった。やれば終わることをやりはじめることが出来ず、気にしなくていいことにひたすらうじうじしてしまう。会社ではあんなに次々と返せていたはずのメール。すぐにメールを返すことを喜びとしていたくらいなのに、受信箱を開くことすら億劫になる日もあった。
短篇小説を書く。それは想像以上に体力と集中力とめげないこころが必要なことだった。どうしたらもっと集中できるだろう、と思っている頃に、同郷で年下の友人・森優が同じように漫画の締め切りに追われて参っていた。森優はイラストレーターとして自営業をしており、独立した時期も、仕事が増え始めた時期も大体同じだったから、久々に会って話すと、仕事の悩みが思った以上に共通しており大いに盛り上がった。ふたりで締め切りを乗り越えよう。それで、朝からビデオ通話でお互いの仕事を監視し合うことにした。音声通話だけではさぼることが出来てしまうから、カメラもオンにしようと決めた。

これが、おどろくほど集中できた。画面から、キーボードを打っている音が聞こえ、時折森優が飼っている猫が鳴く。あくびを我慢しながら画面を見ていると、向こうでは背伸びをしているところが見える。まるで会社のオフィスにいるときのように、リラックスしつつも目の前のことにつぎつぎ着手しなきゃ、というきもちになった。
スマートフォンでビデオ通話を繋いでいるから、スマートフォンでSNSを見ることが出来ないのは思いがけず大きな利点だ。相談したいときに話を聞いてくれる人がいる。1日の終わりに、いやあよくがんばったぞ今日は、と笑って話す相手がいる。その1日だけ繋ごうと言っていたのがお互いに誘い合い、明日も、そのまた明日も……と続くうちに、1年以上が経った。

いま、わたしは平日の9時から18時まで、ずっとビデオ通話で森優とつないでいる。12時から13時までをお昼休みとして一旦切って、あとはお互いの打ち合わせや外出がない限りは繋ぎっぱなしにしている。仕事で少し困っていたり、なかなか作品を書き進められなかったりするときに森優と話せば、解決したり、気持ちが切り替わったりする。いまいち集中できない日は雑談をして、時折はよいガジェットやおいしいレシピの話をする。家にひとりでいるはずなのに、すっかりオフィスのようだ。
つくづく、労働に必要なのは「出勤すること」と「同僚がいること」なのかもしれない。どれだけ憂鬱な月曜でも、会社に着いてさえしまえば捗る1日というものはいくらでもあった。同じように、どれだけもうだめだと思ってしまう朝も、9時には画面の向こうに森優が待っていると思うと、ぼさぼさの前髪でもモニターの前に座ることができて、座るとメールくらいは返そうと思って、メールを返していると原稿を書く気になった。
独立して4年目になるけれど、いまがいちばん1日にこなせる仕事量が多い。「どんどんいろんなお仕事をされていてお忙しいですよね」と気を遣ってもらう事ばかりだが、こなした仕事がすべて世に出るようになったというだけで、ダブルワークをしていたころの仕事量に比べると圧倒的にいまのほうが忙しくない。落ち込むことも減ったし、スマートフォンを触っている時間も減った。いまとても健康的に仕事が出来ていると思う。ただでさえ自分と向き合わなければいけない機会の多い創作仕事だからこそ、他者のキーボードの音を聞く時間のこころ強さったらない。
「作家」という仕事は特別なものだと思われがちだけれど、そうではないとあえて言い切りたい。打ち合わせがあり、たくさんメールが来て、期日までに納品をする。返信はできるだけ早い人でいたい。遅れそうなときはなるべく早くそう伝えておきたい。人と人とで仕事をしているから、出来るだけごきげんでいたい。会社にいたころと変わらない。そう思うと安心できる。
くどうれいん
1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『桃を煮るひと』(ミシマ社)、『コーヒーにミルクを入れるような愛』(講談社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)、第一歌集『水中で口笛』など。中編小説『氷柱の声』(講談社)で第165回芥川賞候補に選ばれる。講談社「群像」でエッセイ「日日是目分量」を連載中。
Instagram:https://www.instagram.com/0inkud0
執筆:くどうれいん 編集:桒田萌(ノオト)

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